生き方は自分で決める
- 成田 美惠子 HAKU
- 2018年3月2日
- 読了時間: 2分
きっと 一度きりの人生 初めての親 それは全て初めて歩く道
間違いや 非難されることもあるだろう
でもそこで どう自分は生き抜くのか?
この地球という ランドに生まれ出て さまよい歩きながら 見つけていく自分の道
50歳になる時より 55歳になる時の方が なんだか感慨深い。
なぜ? 四捨五入で60という数字が見えてるからだろう。
子供は我が親を選んで産まれてくるとは聞く
そして先ずは母親のために何かしたいと 本能的に思うようだ。
まさに私もそうだった。
小学校 中学校と その時代に父も病死し、 なんだか兄弟も母を苦しめて
その頃の思っていたことは 地方の片田舎で東京に出て 歌手になって お金たくさん稼いで 母にお家建て幸せな時間を過ごさせてあげたい。。。。そんな風に 思っていた
私が大人になり 母親になり 我が息子は小さな頃 私にダイアモンド ママに買ってあげるね。。。
なんて 言ってくれていた
振り返ると 同じ想いなんだなと
それはきっと誰も同じ想いをしながら生きてることだろう。。。。と
よくhakuさんなぜ 秋谷に住み始めたの? と聞かれることがある
それは もう一言で答えられる
父との思い出の中に 母と父と 家族との思い出の中に
お魚の カワハギが あったからだ
それがこの近くの 漁港で水揚げされてるのを知った時から
私はここに住むことを決めたのだ
あったかい想い
味噌汁のような味わい
人の生き方まで 変える
それくらい 子供の頃の 魂の想いは きっと死ぬまであるんだろうな。。。と
そして 今回釧路にいったときに 大学の同級生が釧路の女性だった
卒業して 釧路に帰りたいから帰るという フレーズが未だに残ってるのが やっとわかったのだ
人には 気づく時が様々なんだな
理解できない時も多々あるが うんと年月たちわかる時もある
まあ何よりも 今日の心の中をここに 書いておきたかった
そして いつもそばで見守ってくれてる うちの人に 最高の感謝をしたい。
「ありがとう」
