2019 8 6 晴れ
- 成田 美惠子 HAKU
- 2019年8月6日
- 読了時間: 2分
今日の広島市内は 雨。 その中で74年前の原爆の式典が行われていた。あれから74年。私は広島県生まれ育ちだが 自分の環境を何も疑わなく成人になった。
父は40歳で癌で亡くなり。父の兄弟もみんな30代とかで癌で早く亡くなっていた。
大人になりいい歳になってから日本人以外と話していると原爆のことに多くの気づきがあった。
多分、広島にずっといたら何もわからなかっただろう。いや、日本の情報だけだと何も疑わなかっただろう。
子ども時代はどうして?どうして?
自分だけこんな環境になるのか?神様に嘆いたものだ。大人になり写真家として日本の美しき村や市町村を訪れてきた。その中で、弱小な市町村は国から膨大なお金を注ぎ込まれて 働き手も必要になり そんな村に原発を作る。何も知らないで暮らしていた子ども時代。若い頃。情けないがこれが自分だ。
原発でできたエネルギーは都会に住む自分たちが 当たり前に使い。原発がある村は 見て見ぬ振りして毎日を送ってきたのだろう。そんな村のそばには 美しき日本の自然や文化がたくさんある。誰もが未来に残したいと思う そんな美しさがあるのだ。
そう感じていた矢先の8年前に東北の震災は起きた。私はこの時に 各地を回って撮りためた原発近くの村や自然の写真とともに あえてもう一度広島へ足を向けて原爆ドームへと出向いた。そして一冊の写真本を作り上げたのだ。
題名は ーHeartー 日本からの手紙
とても短い写真本だがあえてその中には 未来を不安に思う妊婦さんも載せた。幸せいっぱいの結婚式の写真も載せた。
そして 最後には 自分の目で切り取った原爆ドームを! 日本の中の情報網の中では知り得ないことが 海外の老人と話すとわかることがある。これは 実は衝撃的だった。何が本当で何が嘘か? それは 何より私自身は自分の体験で判断してきたのだ。
政府が何を言おうが、医者が何を言おうが、関係ない。今まで産まれて経験して出会ってきた中で自分で判断しているのだ。
どうかひとつだけ 忘れないでほしい。
今の戦後の日本はこの戦争の痛手があったから武器を放棄し、74年間 今生きてる自分たちは平和で戦いがなく来れたことを。多くの戦死した犠牲者 その家族の上にこの平和な生活はあることを。心に刻んでいてほしい。
この事を 原爆が広島に落ちたこの日に書き残しておこう
haku

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